かつてのJack Hammerは閉店し、居抜きで他のスナックに変わっていたが懐かしさに変わりはない。
マスターがモリシマトキオが来たらこれを渡すように、と木彫りの亀を置いていったらしい。
亀の甲羅を開けると中から携帯電話が出てきた。バッテリー切れてない!だけどパスワードがわからないのでメールは開けない。
なんとかしてメールを読んだトキオだが、人の残留思念がこびりついてしまう体質に若干げんなりした様子。
そして記憶をたどっていく内に、このスナックが廃墟であることに気づく。先程まで会話していたのも、ここに残った残留思念だったのだ。

トキオの携帯に残っていたメールには、自分自身の記憶を忘れるようにしたと書かれていた。
どうやら何かに狙われているらしいが、具体的なことは何も書いていない。

合間に挟まる短編小説のような日記。
どうやらこれは美流のもののようだ。GLG様と呼び、出会った頃のことをゆっくりと思い出す。

そしてミルの過去も流れ込んでくる。
24区で生まれ、シェルターで育ったこと。ミルはどちらかというと落ちこぼれの方で、勉強ができないとかそういうレベルの問題じゃなく、もっと救いようのない出来損ないだった。
こんなことを教えたのはGLGである。
24区の場末のいかがわしい店で、少年たちとカウンターに並んでいた彼女を見つけたのがGLGだった。売り専だった彼女は壮絶な体験もしてきたが、それでも記憶はどこかぼんやりしていた。
GLGはラブホテルのVIPルームに彼女を招き、露天風呂に彼女を漬けて側で眺めていた。痩せぎすで骨も見えそうなほど透けていた彼女だったが、ジロジロ見られることに対しては何も思わなかった。そんな彼女の頭を抱きかかえるようにしてGLGは言った。
「キミを買うって言ったのは、あれは今晩だけという意味じゃないんだ。キミを身請けしたんだよ」
大きなベッドに一緒に入り、でも性的なことはなにもせず、彼女の頭の下に腕を差し込んでくれた。

GLGが彼女に提案したのは、モニターに再現されたCGの美流に表情や仕草、言葉を与えるオペレーターとなることだった。つまり三人の「ミル」の本当の意味でのオリジナルになることだった。
美流は実琉に似せて作られていた。あらゆる実琉の動作や会話プログラムをベースに組み込んで、それをさらに人間的なものにしていく。シェルターでは落ちこぼれだった彼女だが、これは適職だった。彼女は実琉のコピーとしてデビューをした。
シェルター出身の出来損ないは大人になる前に捨てられて、体を切り売りするレンタル女となり、金持ちの男に拾われたかと思うとバーチャルな女としてネット上にのみ存在するようになった。いろんな男たちと会話をする度に、彼女は徐々に感情を取り戻していく。
GLGはシェルターについてじっくり彼女に教え、そしてリハビリ生活を見守っていた。彼女もまた徐々に接続された女であるシステムを使いこなせるようになっていった。

GLGはシェルター出身の可哀想な女というものに惹かれるタイプだったらしい。
彼女たちはきっかけを与えると、ある種の偏った才能を爆発的に開花させることがあると知ったのだ。時には危険な存在にもなりうるが、それすらもGLGはにとってはたまらなかったらしい。
美流としての彼女はこう尋ねた。「それは私のことが好きだということですか?」
GLGは答えた。「そう、そのとおりだよ、美流。僕はキミが好きだ」
シェルター出身の生身の自分ではないが、彼女にとってそれが全てだった。肉体を失っていく代わりに心を与えられていく幸福感。彼女にとって唯一の存在がGLGだった。

ライブチャット内で彼女は山羊という人物にも会っていた。私、つまり美流と実瑠が未琉のコピーであることも知っていたし、マンションで起きていた連続死についても詳しかった。
マンションで死んだ人たちはすっごくくだらない理由で殺されたこと。
ゴミ出しの日を守らなかったとかである。
だから最初はマンション管理組合による組織的な犯行じゃないかって言われていたこと。彼女は地域調整課という存在も知っていた。だが彼女にもわからないことがあった。
「これほどくだらない理由でこれほど大勢が殺されるって、一体何なのかしら。しかも、そのことを私たち住人は、案外なんとも思っていないでしょう」
山羊はニヤッと笑ったあとで咳払いをして言った。
「答えは、殺意だよ。25区に住んでいると人を殺したくなるんだ。単純に」
例えばゴミ出しの日を守らない人がいる。それに対してムカつく。ものすごいムカつく。1回や2回のことならいざしらず、常態化していたらそりゃ腹もどんどん煮えくり返ってくるだろう。それはすごくわかる。みんながルールを守って生きているのに、どうしてあいつだけ死なないで生きているんだって思うと山羊は言う。たまたまゴミが出せない日があっても、次のゴミの日まで我慢してゴミと同居するとか、そういうことを誰もが守っている。

「死ねばいい」というのは少し思うだけじゃない。25区ではそうした感情が殺意に確実に成長するのだ。でも本当に殺したりはしない。けれど、ゴミ出しの日を守らない人がある日殺されたら「ああ、そうか。誰か25区を守る人がちゃんとその人物を殺してくれたんだ、ありがたいなって思う」らしい。次は自分かもしれないのに、得られるカタルシスのほうが大きいらしい。……病気に近い。
だから山羊は地域調整課を大歓迎している。知らないでいいことも知っている。
そこで彼女は話を持ち出す。「実は女神、萌えるゴミと燃えないゴミを一緒にして出している」と。

彼女の心と体は一体化していき、感情を持つ人間となり、本物の肉体もまた成長していった。
その頃、彼女は実琉に対して前とは違う感情を抱くようになっていた。山羊と話したゴミ出しの件である。いつの間にか彼女自身もそれを許せなくなっていた。それに加えて、未琉が美流のオリジナルであることもムカついていた。GLGの寵愛を受けていることについては触れずとも理解できる。GLGが彼女と接していてもどこか上の空なのは、実琉のせいなんだと思うようになる。
実琉が調整されればいいのに、と思った。
実瑠も死ねばいい、プログラムだからデリートしてしまえばいい。そうすれば美流一人になる。

だがこれは殺意と言うよりも冷たい好奇心だ。
未琉が死んだらどうなるのだろうか。殺されるときはどういう風なのか。地域調整課の職員はピンスティックという武器を使って調整すると言う。首の後から突き刺さり、心臓を貫いて股の間から再び出てくるピン。それを見てみたいとも思った。

未琉とは普通に会話をしていた。お茶をしたりお酒を飲んだりして。
最近予言をしているようじゃない、と未琉に言われてものらりくらりとするだけ。だって本当に浮かんだビジョンを話しているだけなのだから。それが本当なのかどうかはわからないから、当たるも当たらないもわからない。そこで彼女はようやく未琉に対して秘密を持つことができた。

彼女は未琉が死ぬビジョンを見た。亀男というフレーズは唐突すぎて彼女にもわからなかった。
”月のない夜”の三日前、彼女は未琉が確実に殺されることを願うあまり、とうとう地域調整課に匿名で連絡をとった。すげぇタマ……。これまでにおきた調整も、住民たちの密告によってなされたものに違いないと思うに至ったのだ。ならば調整の依頼は区民が自ら行うものではないか。
イリーガルな携帯電話を使い、自分の声で自分の肉体を使って初めて電話をかけた。だが、緊張なのか言葉はうまく出てこず、すぐに電話は切ってしまう。
いつもならスムーズにコミュニケーションがとれるのに、どうしてなのだろうか。

新月の夜、亀男は現れた。未琉のチャンネルにきて女神のパスワードを聞き出した。未琉はいつも要注意ユーザーがいるとメールでそれを報告してくる。ハンドルネーム、ID、IPアドレスなどと共にログが添えてあった。
一方、山羊からも連絡があり「女神の情報を教える」という電話がかかってきたことを伝えられた。山羊は引きこもりだったから、その電話の着信履歴の番号を教えてもらい、冷やかしに見に行くことにしたのだった。

彼女は亀男に会った。電話はできなかったが直接の会話はできた。亀男は地域調整課の人間なのかと疑ったが、話していく内にそれはないと感じた。何故なら彼は彼女と同じタイプの人間だったからだ。シェルター出身であることを見抜いた彼女は確信する。何かに導かれてここにやってきたのだと。

亀男との逢瀬を終えた彼女は部屋で準備に取り掛かった。
山羊には女神とチャットしないように言った。きっとあれが起きる。
そしてイリーガルな携帯電話同様に調達させたピンスティック銃を取り出す。本物という折り紙付きだという。つまり、地域調整課の手を借りず彼女自身が未琉を屋根裏から貫くのだ。それは殺意でも好奇心でもなく、ただの使命感だった。

彼女は自室に戻り、キーボードに指を滑らせた。亀男と話すのは楽しかったし、電話も楽しかった。実際のところ、山羊だと思ってコンタクトし続けていたのは彼女だったのだ。
流れを変えたのは自分だ。だからサドンデスのことを亀男に打ち明けた。はしゃぎすぎたかもしれない。
美流には予言能力があると知っておいてもらいたかった。GLGは近い内に姿を消すだろう。そうしたら、次に彼女とのっぴきならない関係になるのは亀男だ。彼女の存在がピンスティック銃となる。

GLGに彼女はメールを書いた。
今までの恩と感謝と、肉体的には男とわかっていながらも私をずっと女として扱ってくれたこと。
美流という名を与えられるまで彼女の心と体がバラバラだったのは、性同一性障害だからだ。体は男で心は女。それが先天的なものかどうかはわからない。
ともかく、美流としての存在は彼女の心をまとめてくれた。お客というオーディエンスと女としてコミュニケーションをし、女として扱われるという実感を経て本来の自分を見つけることができた。


情報量が多い。

まず、トキオは記憶を故意に失った。
三人のミルのうち、女神と呼ばれた未琉と美流は本物の人間だった。ただその境はとても曖昧だ。
ただ美流はGLGに本当に愛されたかった。生身の自分を、ここまで柔らかくしてくれたのはGLGのおかげだからだ。だから彼の愛情を独り占めしたくなった。
そのために山羊……ヤギサワを利用してトキオを誘い込んだ。そして本当の女神は自分だと言いたかった?
なんか違う。でもデータでしかない実瑠はあっという間に消すことが出来る。そしたら残るのは美流だけだ。

まあともかく、美流が只者じゃないことだけはわかった。散々煽られていたカミジョウの性格も、まあある意味では偏っていたし変態だったのかもしれないが、結果的に一人の人間をここまで救うことができたのだ。

だがカミジョウは生きてるかもしれなくて、マチコさんという存在のところへ帰った可能性高いのよね……。