北海道横断旅行@3日目
北海道旅行、3日目は大本命の網走刑務所に行ってきたよ〜。と言っても、実際の刑務所を見るわけにはいかないので、網走監獄資料館というところに行ってきました。旭川から電車で約4時間[p-n_emoji_07]結構遠かったけど、それに見合う価値はある場所でした。かなり写真とか説明とか多くなりそうなので、記事は続きに書くことにします[p-n_emoji_18]
私が何故網走監獄に興味を持ったのかというと、吉村昭の「赤い人」「破獄」を読み、北海道の開拓の裏には、多くの囚人たちの命が隠されていることを知ったからでした。江戸時代から蝦夷地(北海道)の開拓は進められていましたが、完全なものとはいえず、また独特の地形や気候もあり、開拓はあまり進んでいませんでした。その当時、東京などをはじめとする本州の集置監(刑務所)では、明治維新に反発し反逆罪とされた武士などをはじめ、実に多くの囚人が収められていました。そして、それら囚人たちの衣食住は国費で賄わねばなりませんでした。
簡潔に述べると、これ以上本州の集置監(刑務所)に収容できなくなってきており、また財政も圧迫されていることが問題となっていました。そこに持ち上がったのが、蝦夷地開拓の話でした。未開の地でもあり、厳しい気候だという蝦夷地に進んでいく者はほとんどいません。そんな中、終身刑などでもう外には出られない者たちを集め、いっそ北海道開拓に使ったらどうか、という案が出されました。囚人たちは通常の人夫を雇うより安くすむし、またひどい話ではありますが、死んだとしても国費が浮くだけであり、なんの支障もない、ということになりました。こうして、次々と本州から囚人たちが北の大地に送られてきました。
最初こそ慣れない土地での生活に苦しんだものの、囚人やそれらを監視する看守たちも、徐々に北海道での生活に慣れていきます。当初は今の札幌市付近を拠点としていましたが、それも囚人の数が増えるにつれて徐々に増加し、最果ての網走にも集置監が設置されました。
そして、いろいろな行程を経て、網走〜旭川〜札幌間の道も整備され、開拓されていったのでした。その開拓には、多くの囚人たちの犠牲が伴っていたことを、忘れてはいけないと思います。
吉村昭の「赤い人」は明治初期の開拓史を、「破獄」は昭和の開拓史を描いています。先日の羆事件ではないけれど、自然は本当に厳しく、優しいものです。今回は、人と自然という観点でこの資料館を見ていくことにしました。