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「高熱隧道」ツアーレポ

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([deji-orange]写真提供:N氏/右がガイドさん、左が私です[p-n_emoji_05])

遅くなりましたが、11月6日に黒部ダム見学ツアーもとい、高熱隧道見学ツアーに行ってきました[p-n_emoji_44]数ある応募者の中から選ばれて良かったという気持ちと、吉村昭の作品にハマるきっかけとなった「高熱隧道」を体験できるということで、かなり楽しみにしていました。元々このツアーは黒部ダム建設について知ってもらうためのもので、関西電力が主催するものなのですが、現在進行形で工事関係者や発電所の関係者が出入りしている区間なので、一般公開はされておらず、こうして応募して当選しないと立ち入ることのできない区間なのです。その中に「鉄」としては見逃せない(?)限定車両なんかもあったりしたので、当初はN氏が行きたいと言っていたんですが、参考資料として「高熱隧道」を読んだ私のほうがハッスルしてしまっていたという…。

そんな感じで、我々は黒部ダム側から入るルートに当選したので、前泊してツアーに挑んだのでした。ツアーの趣旨というか、メインはやはり黒部ダム、そして第四発電所なんですが(黒部の太陽とかあるしね)、私にとってはそれは前座に過ぎず。あくまで「高熱隧道区間」に集中して参加してきました。高熱隧道の本についての感想はこちらに書いてあるのでどうぞ[p-n_emoji_22]

黒部ダムに集合し、秘密のルートを通ってバスに乗車し、まずは第四発電所を目指します。第四発電所並びに黒部ダムの建設も並大抵の工事ではなかったので、いろいろな説明をしていただきました。これはいろいろ資料も映画もあるので、私自身は申し訳ないのですが「そんなもんかー」と思って聞いていました…高熱隧道区間のほうが遥かに難工事だと思ったので。

人間の侵入を拒み続けた嶮岨な峡谷の、岩盤最高温度165度という高熱地帯に、隧道(トンネル)を掘鑿する難工事であった。犠牲者は300余名を数えた。

これに加えて、戦時中の工事であったため、機械類はなく(運べなかったというのもありますが)、ほとんど手で掘られたトンネルでもあります。吉村昭氏は、実際に第四発電所の建設工事現場を訪れた経験を持っており、著書の「高熱隧道」後書きにこんなことが書かれています。

…エレベーターの終点の隧道内には、密閉できるようになっている木製の箱車が待っていた。やがて軌道車が動き出したが、しばらく進むと妙な熱さが私の体を包み込み、かたく閉ざされた扉のすき間からも湯気が入りはじめてきた。箱に取り付けられた小さなガラス窓から外を見ると、隧道内には濃い湯気が充満している。急速に高まってくる熱気とそして湯気の密度に、私は、なにかこの隧道内に異常事態が起こっているのではないのかと思った。


現在ではもう少し耐熱性のある車両に変更され、第四発電所からの電力により隧道内の温度は随分下がったと言われていますが、それでも実際に狭い軌道車に乗り、高熱隧道区間に近づくにつれて濃い硫黄の臭いが鼻を突くようになり、車内にいても息苦しいほどの熱気を感じることができました。幸か不幸か、私はドアの真横に座っていたのですが、ガイドさんが高熱区間に入った時にドアを開けてくれて、実際その目で岩盤を見、そして手を出してみてその熱気に触れることができました(狭い車両内でそんなことができたのは私だけでした!)。その時の写真が上のものです。列車は動いているので岩盤を触ることはできませんでしたが、むっとした熱気、という言葉以上の熱気が瞬間的に噴き出して、眼鏡がすっかり曇ってしまったほどでした。現在でもこの状態なのに、当時はもっと気温も高かったわけですから、工事に携わった人たちの苦労が身に染みるようでした。ダイナマイトが自然発火してしまうような岩盤温度。それに伴う気温の上昇。劣悪としか言えない環境の中、工事を進めるために様々な努力がされました。

掘削工事をする人夫の負担を減らすために、黒部川からくみ上げた水をかける「かけ屋」といわれる人夫、その人夫にまた水をかける人夫…。熱射病に似た症状を表すため、塩分を多めに含んだ粥を随所に配置し、20分交代で隧道は掘られていきます。しかしながら、岩盤温度は下がる気配を見せず、それどころかどんどん上昇していきます。ついにはダイナマイトの自然発火という事故を引き起こしてしまうのですが、戦時下という特殊な状況下であったため、工事を進めなくてはならず、熱伝導の低いエボナイトにダイナマイトを装填するという案が生み出されました。しかし、岩盤に穴をあけて硬いエボナイトに包まれたダイナマイトを装填するのは難しいということで、試行の末によくしなる竹でこれを挟み、さらにそれらを複数つなげることによって点火作業がスムーズにいくよう改良されました。しかし、それでも岩盤温度は不気味に上がり続けたため、ついにダイナマイトを装填する前に氷の棒を突っ込んで温度を下げるという策まで出された程です。凄まじいとしか例えようのない環境でした。
更に悲劇が重なり、ホウ雪崩という特殊な雪崩により2度も宿舎が破壊され、工事現場の外でも尊い命が失われています。その方たちを供養するためのお地蔵さまが今でも坑道内にあり、供養を続けているようです。

私が、長いツアーの中で、たった数分の高熱隧道区間に集中したのは、一重に吉村昭氏のおかげだと思います。ツアー全体の流れがなんとなく第四発電所や黒部ダムの工事に集中してしまうのは仕方がないのですが、やはり私としては類をみないほどの難工事であったこの区間を実際に体で体験することにより、多くの犠牲者に対して初めて追悼の意を表せるような気がしていたのです。今でこそいろいろな機械を導入して工事を進めることができますが、当時は人の力が頼りであり、また消耗品とされていました。彼らの命が軽視されないためにも、また彼らの命があったからこそ黒部ダムにかかわるトンネル工事が進んだということを、忘れてはならないと改めて心に刻むことのできた、貴重なツアーでした。

と同時に、吉村昭氏がいなければ、私はこの区間でどれだけの犠牲が払われたのかを知ることがなかったと思います。詳細を調査し、克明に小説として書かれた氏に改めて敬服の意とともに、冥福を祈ります。
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